歴史的建造物や歴史地区の保存・再生に関して

歴史的建造物や歴史地区の保存・再生の問題は、そのときの社会と大きく関わる問題でどのような選択が正しいのかはケースバイケースであり、価値観も人や世代によって大きく異なるため、明確な答えは存在しない。しかし、そのひとつひとつの行為は必然的な理由の基になされるべきで、必然的な理由がなければできるだけ現状のものを変更するべきではなく、逆に不都合なものは積極的に変えるのが正しい保存の在り方だと考える。そして、保存・再生の問題ではしばしば行為の理由として経済性の問題が挙げられるが、保存・再生の問題を考える際はできるだけ経済の問題を排除する必要があると考える。この時点で、すでに論理性は破綻している。個人の権利を尊重し、必然的な理由がなくとも個人の好みによって現状を自由に変更することは間違えた行動ではない。そもそも、ある行為をするとき、それが最大多数の最大幸福を満たすか、個人の自由を侵さないか、共同体倫理に反さないかなどの問題が生じ、それをすべて満足することが不可能なことである。文化財保護の問題も同様に正解は存在しないことに注意する。以下では、上記のような立場をとる理由について述べる。

まず、保存・再生の問題について考える前に、なぜ歴史的建造物や歴史地区を保存するのかを明確にする。それは紛れもなく未来の人々のために残すのであり、未来に残された文化財は未来の専門家と大衆によって評価される。言い換えると、現在から未来の専門家や大衆へのメッセージとして建造物は保存される。このことはすべての保存・再生行為の根本にある。

個としての歴史的建造物と群としての歴史地区を同時に語るのは難しいので、まず、最初に個としての歴史的建造物の保存から考える。歴史的建造物の価値とは何か。それは先ほど述べたように、歴史的建造物が過去からのメッセージを内蔵していることである。建築は言語では伝えることのできないメッセージ性を持っている。私たちが歴史的建造物を見たときに感じる感動はその建造物が長い時間を経て存在していることから起こるのである。これはただ古いものであるから感動するということではない。例えば、伊勢神宮の内宮・外宮は周期的に建て替えられているが、同様の感動を見る者に与える。建築が持つ価値について、森田慶一は『建築論』において、「建築は、一般に四つの様態、すなわち物理的・事物的・現象的・超越的な様態、で現実に存在して」おり、それぞれの強・用・美・聖の価値を実現しうると述べている[1]。この言葉を借りると、建築が持つメッセージ性とは、何らかの必然的な理由や意図を以ってその建築が強・用・美・聖の価値を内包し建っていることにあるといえる。さらに、歴史的建造物の場合、それが持つ価値とは、長い間その建築が重力に抗して建ち、何らかの形で用いられ続けてきたこと、そして、その芸術性や神聖性が昔から認められてきたことにある。歴史的建造物を保存することは、過去に蓄えられたその価値を引き継ぎ、現在のメッセージを付加し、それを未来へと繋ぐことである。文頭に述べた保存する際に現状をできるだけ変えずに必要があれば変化を許容する立場をとる理由は、できるだけ過去の価値を残し、そこに意図を以って現在の価値を付加することが正しいと考えるからである。

歴史的建造物が未来へ保存される際には大きく分けて3種類の目的がある。まず一つ目は、実用的な建物としての建築の保存である。例えば、白川郷の合掌造りの屋根はその地域の気候に適した形で、養蚕業にとっても合理的な構造になっているためにそのかたちが継承されてきた。現代の生活に合うように内部は変更が加えられてはいるものの、変更が必要ない部分に関しては過去のかたちを継承している。白川郷が昔の姿をよく残しているのは、開発の手が届かなかったという消極的な理由も大きいであろうが、その建築が使用上合理的であったというのも理由の一つである。他にも民家がそのまま民家として使われるような場合ではなく、用途を変更して使われ続ける場合もある。大阪のキタからミナミの間には昔のビルが商業施設に用途変更されたものがいくつかあるが、これも建物として保存した例である。これらのように未来にも建物として使用することを意図した保存がまず挙げられる。次に、象徴としての建築の保存がある。原爆ドームは廃墟であるが世界で初めて原爆が投下された場所という大きな意味を持つ。また、伊勢神宮はその建て替えごとに小さな変化はあるが、国の象徴として古くから式年遷宮を行い、古来の姿と精神を継承している。その他に、京都大学の時計台が免震技術を施してまでも後世に残されるのは、京都大学京都大学であるためのアイデンティティーを時計台が担っているからだろう。このように象徴といっても様々な次元の象徴があるが、何かのシンボルとして建築が保存されることがある。そして、最後に、展示物としての建築の保存がある。パリの国立建築遺産博物館は極端な例ではあるが、あそこでは展示物としての建築の保存・再生が行われている。清水寺の見学会で見た轟門では、轟門の造りが建築学的に重要であることから後に両脇間の天井に取り付けられた天井板を撤去する策が講じられていたが、これも典型的な建築を展示物として保存する例である。以上、歴史的建造物保存の目的として、建築を建物とする保存と象徴とする保存と展示物とする保存の3つを見てきたが、ここで、ひとつの建造物をこれら3つのうちのどれかに明確に区別することはもちろん不可能であることに注意する。上の例で挙げた白川郷は建物というより展示物としての意味合いの方が大きいかもしれないし、原爆ドームは展示物でもある。また、伊勢神宮の内宮・外宮は20年後の大工へ建築のかたちを伝承するための展示物と捉えることも可能である。逆に、京都大学の時計台は建物として十分に機能しているし、清水寺の轟門も本堂への入り口という象徴や門という建物の役割も果たす。ひとつの歴史的建造物の保存は3種類すべての目的を多かれ少なかれ持ち合わせている。

先ほど取り上げた清水寺の轟門の例のように、歴史的建造物が未来へと受け継がれる際に、敢えてその過去へ逆行することがある。清水寺の現場見学では、轟門・奥院・阿弥陀堂を見せてもらったが、すべてにおいて過去のある時点の姿に戻すという試みが採用されている箇所があった。建造物の保存の問題において、過去を最大限に受け継ぎ、現在の価値を加え、未来へと繋ぐという考え方からすると、基本的に変化の方向は不可逆的なもののはずで、復元や復原という考え方は非常に特異な行為である。復元も復原も建物のライフサイクルの途中から戻すか最後から戻すかの違いで、ここでは両方を区別せずに復元と呼ぶ。では、復元の正当性は何か。それは建造物保存の目的を考えることにより説明することができる。ひとつは象徴とするための復元で、もう一つは展示物としての復元である。前者は幕末から明治にかけて紫宸殿など多くの寝殿造りや天皇陵に古墳が採用されたことなどから分かるように、維新・復古の時期に意図的に建築を国の歴史的伝統を象徴するものとして復元され、後者は技術の進展とともに考古学的資料が充実したことでかつての姿が明らかになったことも助けになり、ある時代の姿を見せるために復元される。どの復元にしても正当性のある理由の基に行われるのであればそれは正しい保存・再生である。正当性のある理由であればその変更を未来へ伝える意味もある。しかし、その現状変更がその建造物が持っている強・用・美・聖の価値を阻害することは避けなければならない。なぜなら、それは過去の価値を受け止めていないからだ。正当性のある復元は過去を受け止めその上で敢えて行われるべきである。清水寺の奥院では、建築内部の相の間の板敷きを外して土間に戻す案が採用されていて、その結果生じた段差をどうするかという矛盾が生じていたが、これは過去を受け止めるということに失敗している。また、全体を通して、清水寺の修理について、過去の状態に戻すということがなされていたように思うが、天保の大地震時の崖崩れによってずれた轟門の礎石をなぜ戻すのか、阿弥陀堂の屋根をなぜ戻すのかなど、過去に戻す理由がわからない部分がいくつかあった。しかし、自分とは保存の目的に対する考え方が違うだけで、それらは熟議の上で必然的な理由が確認されて決定したことであり正しい保存である。なぜ、ある時代の姿に戻すという発想が生じるのか。それは建築物の一生においてどの時点を完成形と捉えるかという問題である。建物ごとにその時点は様々あるであろうが、私は一般に建築物とは常に変化するもので完成形はないと考えている。社会要請に伴い建造物の使い方は変化し、日本のように巨大地震が多発する国で、定期的な修理を必要とする日本の木造建築では、壊れることは当たり前で特にそういえる。

これまで歴史的建造物保存の目的として、建物・展示物・象徴の3種類を挙げて話を進めてきたが、これらは用・美・聖の価値に対応する。そこで保存に際しては当然強の価値も確保せねばならない。用・美・聖の価値を考える以前に、強の価値を持つことは大前提となっている。補強をする際には建造物が持つ価値を損なわないように、また後世に悪影響が出ないことを十分に配慮してなされなければならない。化学物質を使う場合にはそれが結果として木材や元の色彩に悪影響を与える場合がある。また、構造補強をするためにボルトや筋違を使用するときなど、将来の修理の際にそのせいでそれ以外の部分も取り替えなければならないという事態も起こりえる。しかし、それは長期的にみると他の部分に危害を加えることになり、避けなければならない。東大寺大仏殿鉄骨ブリッジではその構造補強部分は極力隠されている。それはかつての姿を展示するためという目的では正しいといえる。もし、建物として使うためには木造では危険で、東大寺大仏殿を補強する際に、構造体を見えるように鉄骨を剥き出しに改修したとする。それは一見歴史的建造物の用・美・聖の価値を阻害しているように思えるが、現代的な技術と造形によって過去の価値を阻害してもそれが建築物の全体としての用・美・聖の価値を高めるのであれば、現在のメッセージを付加するという意味で正しい保存である。

これまで、個としての歴史的建造物についてみてきたが、次に群としての歴史地区を考える。基本的な考え方は歴史的建造物の保存・再生の場合と同じで、過去のものをできるだけ継承し、必要があれば改修を行うべきだと考える。ここでは、群になると生じる問題を取り上げて考える。まず、歴史地区の保存の意義は歴史的建造物の場合と少し違う。歴史地区には個々の物件では表現し得ない美しさがある。そのように感じるのは、その景観が幾世代にもわたって無数の人々の生活と共に成り立っているものだからである。すなわち、幾世代にも受け継がれた文化が歴史地区の景観には表出する。これに人々が感動する理由は先に述べた歴史的建造物を見て感動するメカニズムと似ている。歴史地区の場合は地域の文化が景観に表出するという点において、歴史的建造物単体とは異なる。したがって、それは地域全体に共有されるべき価値である。歴史地区の保存を考える際にはその景観が共有のものだということを前提としなければならない。景観に文化が表出すると述べたが、それはその地域に独特の共有された運営システムがあるからである。例えば、伊根町であれば漁業が生活の運営システムの基本にあり、それがかたちとして建物に表出している。歴史地区を保存・再生していく上で大切なことは、景観を形成している個々の建物に対しては必要に応じた改修を許容した上で、地区全体が共有する運営システムを保存することである。

町並み保存のときには、法制度の問題もあって、歴史地区がテーマパーク化する問題がある。飛騨高山の古い町並みも中にはファサードのある一間だけが昔ながら風の木造建築でそれより後ろは現代建築という不自然な建物がある。過去のものをできるだけ保存するという姿勢で改修に取り組めば、このようなかたちにはならないだろう。

最後に、歴史的建造物や歴史地区の問題は経済原理と切り離して考えるべきだと考える。経済原理がはたらくと、大量生産のものが有利になり、唯一無二の文化財は絶滅に追いやられることは必至である。文化財はかけがえのない価値を持っており、その価値は長期的に見れば大きくなり守るべきものである。経済原理に淘汰されないためには、建物群だけを保存対象とするのではなく、妻籠のように周辺環境も含めた保存が必要である。周辺環境を保存するとは運営システムを保存するといってもいい。例えば、伊根町では漁業環境を保存しなければ、伊根町の町並みも滅び行くだろう。

以上から、私は歴史的建造物や歴史地区の保存・再生するときは、必然的な理由がない場合は現状を変更せず、正当な理由があれば建築全体の強・用・美・聖の価値を失わないことに注意した上での変更を許容するべきだと考える。また、経済原理から歴史地区を独立させる法制度や社会制度を作り、経済原理から文化財が破壊されるのを防ぐ必要があると考える。(5428字)

 

【参考文献】

  1. 森田慶一:建築論、東海大学出版会、1978.2.

  2. 木原啓吉:歴史的環境―保存と再生―、岩波新書1982.12.

  3. 鈴木博之復元思想の社会史建築資料研究社2006.6.